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2005年7月24日 (日)

フォン・ノイマンと原爆: 広島、長崎、そして新潟

 広島と長崎の原爆の日がまもなくやってくる。8月6日に広島にリトルボーイ(ウラン爆弾)が、同9日に長崎にファットマン(プルトニウム爆弾)が投下されている。この日が近づくにつれて、被害にあわれた人々のことを思い出すとともに、原爆開発・投下に深くかかわったフォン・ノイマンのことを思い出す。それと同時に、科学者の興味と良心の関係はどうあるべきかという点にも思いが及ぶ。
 フォン・ノイマンは数学、物理学、経済学やコンピュータの設計など多くの面で多大の業績を上げている。はからずも、私のこのすべての面で勉強を続けており、それぞれの面で彼の業績を学んできた。
 フォン・ノイマンは原爆開発・投下では、主として爆発高度の計算を担当している。どの高度で爆発させたら最も多くの被害を与えることができるかの計算である。つまり、彼はどれだけ多くの人を殺すことができるかの計算を担当したのである。ベトナム戦争当時、アメリカの学会や戦争関連委員会でキルレイショ(殺人比率、費用○○ドル当たりで何人のベトナム人を殺すことができるかという比率)という言葉が平然として語られていたことを思い出す。フォン・ノイマンは、このキルレイショを平然と語る人たちと同類であったのである。おそらく、彼は興味の赴くままに活動し、その結果として前記のように多面的な業績をあげることができたのであろう。彼の場合、良心は彼の活動に対して制約条件にはならなかったと思われる。彼は人間の心を持たない科学者であったというべきであろう。
 かつて「科学には国境がない。ただし、科学者には国境がある」という言葉が頻繁に用いられたことがある。これに倣えば、「科学の範囲には制約がない。ただし科学者には良心の制約がある。」といえるかもしれない。私は、経済学者は良心の制約に従って仕事をするべきであると常々思っている。私がK. マルクスを愛するのは、ひとえにこの面からである。私は、すべての科学者も良心の制約に従って仕事をしてほしいと望む。
 またフォン・ノイマンは原爆を日本のどの都市に投下するかを決める「標的委員会」にも出席している。米国空軍の当初の原爆投下候補地は京都、広島、横浜、皇居、小倉軍需工場、新潟の6ヶ所であつた。かれは皇居への投下には反対したという。さらに、新潟がリストから削除された。新潟の削除は誰の指示によるかは不明であるが、彼の現存するメモには新潟に対して「情報不足」と付記してあるという。私は、どこかでNiigataと記されている彼のメモ(もちろんコピーである)をみたことがある。そして最終的には、広島、小倉軍需工場、そして新潟や横浜などの港湾都市の代替地として長崎の3つが投下候補地とされた。
 新潟市は、私のふるさとである。新潟が原爆投下候補地から削除されたことについては、程度は不明であるが、フォン・ノイマンがかかわっていることは事実である。それゆえに、私の存在、あるいは親や兄弟の存在(何人かは既になくなっている)は彼に負うところがあるかもしれないのである。それでも、私は科学者の良心という面で彼を指弾したいと思う。

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