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2005年9月16日 (金)

憲法の改正と憲法の不完備性

 先の衆議院選挙で自民党が圧勝した。この勝利は小泉総理1人に帰せられるとの声が多い。私もそう思うが、個人投資家の拡大もこの勝利に寄与しているのではないか。この点については、私の以前のブログを参照されたい。

 この勝利に伴い憲法改正が現実問題となってきたという。ここでは、この点と憲法の不完備性について考えてみたい。

 まず、憲法改正について。

 私は、どこかの党が主張する憲法改正反対という論拠が分からない。(憲法改悪反対という論拠はもっと分からない。そもそも、改悪とは誰が判断するのであろうか。国民が判断すべきもので、政党が判断すべきものではない。) これらの党は、現在の国民の大多数が現憲法の作成に関与していないということをどう捉えているのであろうか。作成に一切関与していない国民に対して「国民の憲法」といえるのであろうか。

 宗教の教義とは異なり、憲法は時代や国民意識とともに常に変化すべきものである。それゆえに、憲法は時代(世の中)が大きく変わったり、世代が替わる毎に変化すべきものである。少なくとも、世代が替わる30年毎に国民投票などによって「条文毎に変えるべきか変えざるべきか」、それに「追加すべき条文はないか」の判断をすべきものである。 さらに私見をいえば、憲法は時代に半歩か一歩程度の遅れで付いていかなければならない(宗教は時代にもう少し遅れて、多分十歩?遅れて、付いていかなければならない)。そうでないと、国民意識と遊離しすぎてしまい、「国民の憲法」とはいえなくなるであろう。 現憲法が、さらに現状のままで変化がないとしたら、さまざまの面で不都合が生ずるであろう。現状では、この不都合は裁判官の判断で解決されている。裁判官はオールマイティではない(特許対象の社員発明者に対して某会社は200億円を支払えといったバカな裁判官を思い出してください)。この現状を法治主義といえるであろうか。

 次は、憲法の不完備性について。 

 ここでは第25条(国民の生存権、国の社会保障的義務)を例として説明する。念のため、この条文を記しておく。

   「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 

◎ 不完備性1. 国外の国民の存在

 現在では多くの国民が国外で生活している。この国外居住者は憲法の対象となるのであろうか。当然、対象となる。それなのに、イラクやアフガニスタンやその他の国に居住している国民の中には、上記の権利、特に生存権が保障されていない人もいる。 まさか第10条の「日本国民たる用件は、法律でこれを定める」によって、国外居住の日本人が「非国民」となるのであろうか。最近、海外居住者の「在外選挙権の制限は違憲」という最高裁の判決が示された。これは、上記の「すべて国民は・・・」は国外居住者も含むということであろう。

 さらにいえば、第10条でいう「法律」はどれをさすか分からない。多分、国籍法をさすものと思われる。国籍法の第1条は「日本国民たる用件は、この法律の定めるところによる」とある。この条文が憲法の第10条をさすかどうかは、厳密にいえば判断不可能なものである。例えば、別の法律で似たような条文があるとしたらどうなるであろうか。すべての国民が憲法を容易に理解できるように、憲法第10条は「日本国民たる用件は、国籍法でこれを定める」と改定すべきである。

 ついでにいうと、グローバル化が進展しつつある現在では、国内居住者を国民と非国民を分ける発想は徐々に時代遅れになるであろう。

 ◎ 不完備性2. 「健康で文化的な最低限度の生活」の定義の不在

 この定義が存在していないためにこれまでにさまざまな論議を引き起こしてきたし、これからも引き起こすであろう。これは付則で、「法律(○○法と明記)でこれを定める」として、この法律で定めればよいことであろう。当然、この定義は頻繁に変えなければならない。裁判官に「エアコンが最低限度の生活には必要」との判断をさせてはならないと思う。

 ◎ 不完備性3. 権利の空文化

 この権利を縮小して「生きていく程度の最低限度の食料を保障される権利」として説明する。わが国の食料自給率の低さや食料輸入大国としての中国の台頭などを考えると、この権利は絵空事に近い。

 例えば気象の変化によって、わが国の米ばかりでなく、食料輸出国の穀物が不作となる場合を想像してみよう。この時、国は国民に最低限度の食料を提供できなくなることもありうる。 上記の権利を国民に保障するためには、国は食料の備蓄をしていなければならないのである。たとえば「国民の最低限度の食料1年分」を備蓄し、その上で憲法の条文は「生きていく程度の最低限度の食料を1年間保障される権利を有する」と改定されねばならない。

 また、社会主義政権崩壊直後のロシヤの状況を想起してみよう。この直後の数年間は、多くのロシヤ国民が路頭に迷っていた。多分、かの国の憲法にも似たような条文があったはずである。わが国でも、近い将来、国家財政の破綻が起こりうる。そうなれば、国の負う社会保障的義務は履行できなくなる。 国民の権利を明記したならば、その義務を負う国家は「その裏づけとなる何か」をはっきりと国民の目に見えるようにしておかなければならない。現状では、上記の権利は空文化しているといわざるを得ない。(裁判官の皆さんはどう思いますか。)

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2005年9月 2日 (金)

逆引き衆議院選挙

 衆議院選挙が公示された。そこで、無党派層の1人として、かつ投票したい候補者がいない者として「逆引き選挙」を提案したい。
 私の選挙区には自民党と民主党のほかに何人か立候補しています。私はそのうちの誰に対しても投票したいとは思いません。できれば、誰も当選してほしくないと思います。そして、その分だけの代議士人件費を節約してほしいと思っています。
 あるいは私と違って、自分の選挙区で、この候補者だけは当選してほしくないと思う人たちも多いと思います。
 このような状況を解決するために、通常の選挙区(比例区ではない選挙区)に逆引き選挙制度を導入することを提案したいと思います。今、定員1人の選挙区でA、B、C、Dの4人が立候補しているとします。この時、通常の投票権(○)1票と、逆引き投票権(当選してほしくない候補者に投票×)1票が与えられます。この制度では、投票場に足を運んだ有権者は必ず○票と×票とで、それぞれ1票とカウントします。○票と×票の無記名も有効となります。当選者は、×票が投票総数のX%以下で、かつ○票が投票総数のY%以上の中で、○票が一番多い候補者となります。該当の候補者がいない選挙区は次の通常選挙まで欠員となります。
 このような制度を導入すると、無党派層の多い現状では欠員を多数発生させることもできます。衆議院定数の実質的な削減、つまり歳出削減も容易になります。もちろん、このためには上記のXとYの値が大事になりますが、この値の決定は代議士に任せない方が良いと思います。例えばXとYともに、(候補者数+1人)の逆数とする案などが考えられます。上記の例では、XとYともに20%となります。
 投票率の向上が期待できる上に、歳出削減にもつながる一石二鳥の案だと思いませんか。この制度では、候補者が一部の有権者からより多くの分野の有権者の方を向くようになると思います。そして、この制度では、タレント候補者や「金で何でも買える」候補者は当選できないかもしれません。
 コンピュータなどで、投票集計が格段に容易になっている現状を考えると、昔の選挙制度を大幅に変えることを検討すべき時期に来ていると思います。その際には、ぜひ逆引きの発想も検討してほしいと思います。
 とにかく「投票したい候補者がいない」現状と「当選してほしくない候補者がいる」現状を解決してほしいと思います。この制度は、その解決策の一案です。これを、どこかの政党のマニフェストに掲載してほしいと思います。『そうはイカンザキ』という誰かの声が聞こえてきそうですが。

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