« 労働組合の変質と労働争議の消滅、長期的な回顧1 | トップページ | 靖国問題とポスト小泉 »

2005年12月30日 (金)

戦後の経済成長と昭和天皇、長期的な回顧2

 前回のブログの続きで、昭和30年代前後から数年間のことで、ほとんどの人たちに見過ごされてきたことについて述べます。これには、私の想像や推察が多く含まれていることを明記しておきます。
 戦後すぐに昭和天皇の全国巡幸が始まった。この一環として、工場や炭鉱などの生産施設の見学・視察があった。当初の見学・視察時の工場は戦前の生産施設であった。しかし、何時の頃からか、天皇の見学・視察する工場は新しい生産設備を備えた工場、あるいは新設された工場となった。ニュース映画などでみた私の記憶でいうと、これらの工場設備は日本一や東洋一というものが多かったようである。まだ、世界一というものはほとんどなかったようである。
 戦後の朝鮮特需から復興した日本経済は、外貨が成長の制約要因であった。内需が高まっていくとそれだけ輸入が増え、外貨が不足する。そうすると、景気引き締め政策が採られ景気は悪化する。そうなると、いわゆる輸出ドライブが働き外貨収入が増えていく。それにつれて、引き締め政策が緩められ、内需がまた高まっていく。その結果、また外貨が不足する。このような繰り返しが続いた時期があった。このような時期に、外貨を獲得する企業を主な対象として通産大臣表彰があった。おそらく。そのような企業の工場を対象として天皇の見学・視察が行われたものと思う。この1年前くらいに、企業側に天皇の見学・視察の内示がある。この内示を受けた多くの企業は、前述のように生産設備を増強したり、一新したりした。
 私が在籍していた大手の電気企業でみた例を記しておく。ある工場が新設され、それと同時に、おそらく昭和34年前後に、昭和天皇は訪れていた。工場の正面玄関前の庭には、天皇お手植えの松があった。そして正面玄関を入ってすぐのところに、工場見学・視察する天皇の写真が飾られていた。天皇の側には、生産設備を説明する社長の誇らしげな顔も写っていた。
 新しい技術を体化した生産設備は、経済成長のエンジンとなる。ある時期以降に天皇が見学・視察した工場(以下、天覧工場と呼ぶ)はまさに「新しい技術を体化した生産設備」が多かったのである。景気変動の中で、それらの設備は時には過大なものとなったであろう。しかし、経営者は天覧工場を見捨てるわけにはいかなかったから、苦しくても歯を食いしばってその設備の稼動を維持したであろう。そして、その設備に見合う需要を国内外に開拓していったであろう。新しい技術を体化した天覧工場はかなりの数に上るものと思う。これらのことを推察すれば、これらの工場は戦後のわが国の経済成長を担ったといえるであろう。それゆえに、昭和天皇がわが国の経済成長に果たした役割は決して小さくないであろう。
 昭和天皇の工場見学・視察を記述している資料は、ほとんどが戦後すぐの時期、昭和20年代に限られているようである。例えば毎日新聞社『昭和の天皇陛下』1989年、保坂正康『昭和天皇』中央公論、2005年などである。上記のような新しい設備の天覧工場の記述はほとんど見られない。

追記
 昭和天皇の全国巡幸時の宿泊所・旅館などの写真集は存在している。例えば前記の毎日新聞社がそうである。天覧工場の写真集は存在していないようである。前記の写真集よりも後者のそれの方の価値が高いと思います。どなたか、この写真集にチャレンジしてみませんか。私が在籍していた会社は松下電器です。

|

« 労働組合の変質と労働争議の消滅、長期的な回顧1 | トップページ | 靖国問題とポスト小泉 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/110055/7902248

この記事へのトラックバック一覧です: 戦後の経済成長と昭和天皇、長期的な回顧2:

« 労働組合の変質と労働争議の消滅、長期的な回顧1 | トップページ | 靖国問題とポスト小泉 »