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2006年1月28日 (土)

ライブドア不正事件と個人株式投資家

 ライブドア不正事件で、個人投資家に多額の損失が生じているという。過去のブログ(11月25日)で、私の株式投資方針を記載した。その方針と関係付けて、投機、あるいはギャンブルという視点も含めて、個人の株式投資(投資ファンドの購買者は除く)について述べる。
 個人投資家の株式投資は大きく3種類に分類できる。すべての人たちが、以下のどれかに分類されるというわけではない。以下の投資を併用している人たちも多いと思います。
[中・長期投資]
 1年から3年間程度、あるいはそれ以上の期間を考えて行う投資。その間の株価次第で、売却する銘柄もありうる。つまり銘柄の入れ替えもありうる。私は1年から3年程度の期間を想定しており、これが私の投資の主体である。私よりも、もう少し長期ならば「さわかみファンド」の澤上篤人氏の「にんまり投資術」となろう。また、これはアメリカのピーター・リンチ氏やウォーレン・バフェット氏の投資方針に近い。
 個人投資家がこの方針を堅持するのはかなり難しい。例え保有株式の株価が購買価格を超えて上昇していても、それを「にんまり」みているのは案外つらいことである。毎日株価をチェックし、ほとんど毎日「売ったり・買ったり」しないのである。株式投資のひとつの特徴である興奮・高揚感がほとんど毎日得られないのである。この理由からか、このような投資のみに限定している個人投資家は比較的少数であろう。
[短期投資]
 1ヶ月から3ヶ月程度の期間を考えて行う投資。この投資は比較的頻繁に株式の売買を行う。それゆえ、比較的頻繁に株式投資の醍醐味である興奮・高揚感が得られる。この投資は、個人投資家に多いようである。私も、比較的小額でこの投資も行っている。
[デイ・トレーディング]
 ある1日の間に、特定の銘柄を売ったり、買ったりする投資で、その日のうちに売買を完結し、宵越しの株式は持たない。通常、信用取引契約もしているので、空売りから入ることもできる。これは、時間的ゆとりのある人か、専門家(デイ・トレーダー)でなければできない。近頃は、家庭の主婦などにデイ・トレーディングの世界にはまる人たちが多いようである。この人たちは、毎日「○○円儲かった」とか「△△円損した」という結果が得られるが、その金額は投資額に比べるとあまりにも小さい。私は、時間的なゆとりがないこと、情報面で機関投資家や証券会社の自己売買部門などに劣るという理由から、この取引は一切行っていない。
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 ライブドア不正事件で、個人投資家に多額の損失が生じているという。この損失が生じている投資家は、ほとんどが短期投資家であろう。中・長期投資家は、その銘柄選択基準から考えるとライブドアなどの株式は保持しないであろう。もし保持していても、ポートフォリオ投資(分散投資)を重視するから、その損失割合は比較的少ない。
 またデイ・トレーダーも損失をこうむっていないはずである。彼ら、彼女らは宵越しの株式を持たないから、ライブドア株式が暴落した以降にしか市場に参入できないからである。(もちろん、短期投資とデイ・トレーディングの両方を行っている人もいるが、その場合の損失は前者のものである。) ここ数日(25日以降)、ライブドア株の出来高が急増しているが、その理由をデイ・トレーダーの利ざや稼ぎによると述べている新聞などがある。現在のところ、ライブドア株の売買、あるいは買売は1日で完結することは困難であるから、新聞などの記述はマチガイである。
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 株式投資から得られる興奮・高揚感が競馬やパチンコなどのギャンブルから得られるそれに類似していると考えている人たちは多いと思います。若干視点が異なりますが、ピーター・リンチは「デイ・トレーディングに生計を賭けることは、競馬やブラックジャック、あるいはビデオ・ポーカーで生計を立てるのとほとんど同じである」と述べている(P. リンチ、J. ロスチャイルド著、三原・土屋訳『ピーター・リンチの株で勝つ[新版]』ダイヤモンド社2001年)。デイ・トレーディングをリンチ先生のように競馬などのギャンブルと対比することは、前者に誤解を導くことになると思う。上記の3種類の投資とギャンブルとの関係も述べておきます。
[中・長期投資]
 前述したように、ほとんど興奮・高揚感が得られません。ですから、ギャンブルとはかなり遠い世界となります。ただ、毎日「にんまり」していることはできると思います。あんまり「にんまり」しすぎると、アホ面となる欠点もある。
[短期投資]
 大儲けや大損するのは、この投資だと思います。ライブドアや光通信、あるいは仕手筋銘柄の株価の暴騰暴落を想起してみてください。それゆえに、大きな興奮・高揚感が得られますし、失敗した時の敗北感・挫折感も得られます。競馬やパチンコなどのギャンブルに近いのは、この投資だと思います。
[デイ・トレーディング]
 これは儲けや損失が比較的小額ですので、興奮・高揚感もそれだけ小さくなります。
 この投資の1回の売買での儲けや損失は、最も代表的と思われる例で示すと、下記のようになります(売買手数料や情報利用料などを無視する)。
 1回の売りや買いで支出する金額(投資金額)は100万円前後、多い人でも200万円前後です。買いから入る場合の例でいうと、
   9時30分:○○銘柄、1株100円で1万株買い・・・支出金額100万円
   9時45分:○○銘柄、1株101円で1万株売り・・・受領金額101万円
となります。いわゆる「1円ヌキ」です。この場合は1万円の儲け、あるいは1万円の勝ちとなります。もちろん逆のケース100円で買って、99円で売りのケース、つまり1万円の損失・負けの場合もある。
 利得・損失率(利得・損失金額÷支出金額)はプラス・マイナス1%となります。勝ったといっても、利得率は1%に過ぎないのです。なんともいじらしい世界だと思いませんか。例えば、パチンコに1万円投下して、100円勝ったといって喜ぶ人はいないでしょう。ですから、勝ったり負けたりして得られる1回の勝負から得られるデイ・トレーディングの興奮・高揚感は競馬やパチンコなどよりもはるかに小さなものとなります。
 このような売買を1日に何回も繰り返します。おそらく遊び感覚の人たちは1日に2回程度の売買だと思います。この人たちはギャンブル志向といってもよいが、より正確にはプチ・ギャンブル志向となろう。
 デイ・トレーディングで生計を維持する人は、最低でも勝率は7割(7勝3敗)以上でなければならないと思われます。1日10回の買いと10回の売りをするとして、上記の例で勝率7割ならば4万円の儲けとなります。これだけの儲けを得るためには、おそらくヘトヘトします。毎日ヘトヘトになるほど仕事に励む、これがデイ・トレーディングで生計を維持するコツだと思います。これらの人たちの世界は、ギャンブルからかなり遠いところに位置しています。ついでにいうと、この人たちのほとんどは「ヘトヘト証券」と取引していません。

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2006年1月21日 (土)

不破哲三氏とマルクス主義

 不破哲三氏が、14日の共産党大会を最後に、党の議長を勇退した。私は非共産党員であるが、氏の幾つか著作を読んで感銘を受けた者である。そこで、不破氏の今後の活動に寄せる非共産党員としての期待などを述べてみたい。
 私はマルクス主義に大いなる興味を持ち、それらに関する多くの図書を読んできた。その結論として、戦後の日本のマルクス主義者にはまともな人は極めて少ないということが分かった(西欧のマルキストは別)。例えばわが国の代表的なマルクス主義者と呼ばれる伊藤誠氏である。氏と置塩信雄氏の著作『経済理論と現代資本主義、ノート交換による討議』岩波書店1987年は「おそまつ」の一言である。しかも、この書の中には、題名にある「討議」はほとんど存在しないのである。その責は、本書を読めば、伊藤氏が負うべきことは明白であろう。(もちろん、このような題名を許容する岩波書店の無責任さも非難しなければならないが。)
 日本の戦後マルクス主義者の例外の1人が不破氏だと思う。例えば氏の著作『エンゲルスと資本論、上下』1997年、『『資本論』全三部を読む、第1冊から第7冊』2003年~2004年、いずれも新日本出版社はすばらしいと思います。
 そこで、今後への期待を述べる。今後は共産党員という制約を離れて、不破氏のもつマルクス・エンゲルス・レーニンへの大いなる学識をもっと平明に、そして党員以外に接触できる形で語ってほしいと思います。さらに、中国の今後の進路(どう進んでいくのか、どう進まねばならないかなど)についての氏の見解なども表明してほしいと思います。とりわけ、後者について私は期待しています。
 私は、上記の『全三部』第1冊補論「レーニンと市場経済-中国社会科学院での学術講演-」を大変興味を持って読みました。不破氏は中国の将来像として「市場経済を通じての社会主義へ」という道を思い描いているようです。その方途として、経済の大事な部門を社会主義部門としてしっかり確保すべきだと述べている。これは、少し前のイギリスの国営企業部門やイタリアの同部門(ERIやENIなどと呼ばれていた)の存在を想起すると分かりやすいと思います。それに、現在の中国のアキレス腱のひとつである農業部門については「上からの命令や強制力の行使は絶対に禁止する」、「農民の・・・自発性の原則を厳しく守る」と述べている。ただ、農民の自発性と社会主義との関係があいまいだと思います。それに土地の所有権や農産物の貿易自由化などの課題の解決策を説明していない。巨額の外貨を持つ中国が農産物に保護関税を課すことは、おそらく不可能だと思います。農産物の貿易自由化は農民所得の低下に結びつきます。現在でさえ工業労働者などよりも低い農民所得の問題はどのように解決できるのでしょうか。
 不破氏の講演との関連で、中国経済についての私の考え方も若干述べておきます。中国や社会主義国の経済発展は基本的にはトップダウンで進められている。この方式は外延的成長(extensive growth、生産要素の投入量を増加することによる成長)と呼ばれる経済成長の初期段階には有効な成果を生み出すことが多いと思います。中国もそうでした。しかし、その結果として、現在の中国の製造業は資源浪費型となっている。浪費しているのはヒト・モノ・カネ・環境などである。次の段階である集約的成長(intensive growth、生産効率を向上させることによる成長)の時期には、ボトムアップでなければならない。中国もこの段階への歩みを始めなければならないと思います。製造現場にいるすべての人たちが自ら考えて行動することが大事な時期にさしかかっていると思います。最近の日本経済新聞(12月23日)に掲載されたテキ氏(字体の関係で、カタカナ表記)「粗放型成長続く中国企業、効率重視へ転換必要」は、私の主張に近い。このボトムアップを、指令型経済を特色とする社会主義の中にどう位置づけていくかが今後の課題である。不破氏は、市場経済にゆだねれば製造業は自動的にボトムアップ型になると想定しているのであろうか。
 市場経済であろうが、社会主義経済であろうが、国民一人一人が自分で考え、判断し、行動することが大事なことである。上からの指令や命令などによって国民が行動するようでは、そこには進歩がないであろう。ヘーゲルは「何が真、善、正であるかを自分で判断するいっさいの権利」を信者から取り上げたかつてのキリスト教を批判している。そして、その判断を信者個々人が取り戻す運動がルターの宗教改革であったと位置付け、それをルターの「偉業」であるといっている(城塚登『ヘーゲル』1997年講談社)。近代科学のほとんどの偉大な発明発見がプロテスタントによってなされたことを想起すると、このヘーゲルの言葉は正鵠を射ている。
 不破氏への苦言をひとつ。今後は、党や主義への忠誠を捨てて、自らの知識を誠実に伝えてください。具体例をあげておきます。マルクスの『資本論』第三部の解説にかかわる箇所です。(私は以下のマルクスの誤りは許容できると思います。それは、この第三部が下書き原稿程度のものであるということ、それにマルクスが会計・経理の知識に乏しかったということです(後者は上記『エンゲルスと』を参照)。)
 マルクスの利潤率は次のように与えられている。
   利潤率=m/C=m/(c+v)、ここにC=c+vである
mは剰余価値、Cは総資本、あるいは前貸し総資本、cは不変資本(第一部や第二部に従えば、原材料・エネルギーと資本減耗部分)、vは可変資本(労賃、あるいは労働費用)である。この利潤率の定義も問題であるが、ここではC=c+vの誤りのみ指摘しておく。この誤りはcとvの定義を考えると直ちに分かろう。
 前貸し総資本の定義は具体的な数値例でも示されている。それは固定資本(ここに資本減耗部分が含まれている)と流動資本(生産諸材料と労賃)の和となる。この数値例からも、上記の誤りはすぐに分かるであろう。数値例は上記『全三部』第5冊243頁に示されている。
 また商品の価値Wの定義からも明らかである。それは下記のようになる。右辺の第2式は上記の誤りを代入している。ここから、商品の価値は総資本と剰余価値の合計となる。
    W=c+v+m=C+m
 これらの誤りを不破氏は気づいているはずです。それは『全三部』第6冊28頁から30頁を読めば明らかです。不破氏はマルクスが「生産物の価値を計算する時、・・・不変資本部分cについて、そのどれだけの部分が消費されたかという問題を考慮に入れず、不変資本のすべてが生産物価値に入り込む」と説明している。なぜ、不破氏は最初の利潤率の定義やその他のところでマルクスの誤りを指摘しなかったのであろうか。
 
 追記
 この『全三部』は「代々木『資本論』ゼミナール・講義集」というサブタイトルがつけられているように、共産党員300人以上を対象とした1年間の学習会での不破氏の講義をまとめたものである。学習会に参加した党員の皆さんの中には、上記のようなマルクスの単純な誤りに気づいた人は1人もいなかったのであろうか。もしそうならば、党員の知識水準はあまりにも低いであろう。彼ら、彼女らは誇り高い前衛ではなく、後衛でもなくてタマヒロイ程度であろう。党員の皆さんは自分で考えること、そして例え上層部の言葉あっても誤りがあれば指摘することを放棄したのであろうか。上層部も含めた共産党員の皆さん、それに不破哲三さん、上記のヘーゲルの言葉や記述をかみしめてください。党員一人一人が自分で考えること、自分で判断することの重要性に気づいてください。あなた方も、これから困難な時期を迎える日本の大切な国民なのです。

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2006年1月13日 (金)

流行と循環変動消費

 これまでに述べた流行予測(8月12日と11月20日)の続きです。ここでは、流行と関連が強い循環変動消費について述べます。この循環変動を上手に利用すれば流行を呼び起こすことも可能となります。循環変動による需要のピーク(山)と流行は区別すべきことです。循環変動のピークは、過去のそれと同程度の需要にとどまる場合です。ただし、その需要に含まれているトレンドを考慮しなければならない。流行とは、過去のピークよりもはるかに大きな需要を喚起する場合です。
 比較的良く知られている循環変動はシリコン・サイクルです。これは半導体の需要変動波のことで、概ね4年毎にピーク(山)とボトム(谷)を繰り返します。この循環変動には上昇トレンドが含まれていたので、ピークもボトムも前回のそれよりも大きな値となっています。しかし、現在では、このシリコン・サイクルは崩れているようです。
 半耐久財の衣類(コート類)や皮革製品、耐久財の家電製品や自動車などの消費・需要では循環変動を示す商品が少なくないようです。この循環変動は、後者の耐久財では、買い替えサイクルとも呼ばれています。私の観察では、この循環変動は概ね8年サイクルです。
 少し本論から離れますが、極めて長期の観測結果から導かれた8年サイクルの例を示しておきます。戦前の図書になりますが、H. ムーアは100年程度のデータを用いて穀物の価格が8年程度の循環変動を示すことを計測しております(H. Moore; Generating Economic Cycles, 1923)。彼は、この理由を天体の動向に求めています。古い本ですが、私はこれを大変興味深く読みました。これには、1967年のreprint版もあります。
 ある商品が8年の循環変動を起こしているということが分かれば、この循環のピークと予測される年に投入する新商品に何らかの革新的な工夫を施せば流行を呼び起こすことができるかもしれません。婦人靴のブーツの例で述べます。この需要が8年サイクルを描いており、今秋がそのピークであると予測されているものとします。この場合、これまでの商品、あるいはその延長上にある新商品を市場に投入しても流行とはなりにくいでしょう。そこで、何らかの革新的な変革を伴う新商品を製造するのです。例えば、上半分の皮革部分に網目を入れる、あるいはチャックに変えて目立つ留め金をつけるなどです。さらには水虫防止機能を付加するのです。このような変革が消費者に受け入れられれば、その新商品は流行を呼び起こし、爆発的に売れるかもしれません。
 私の観察によると、革新的な新商品を市場に投入しなくとも、循環変動のピークと合致しただけで爆発的な流行が生まれる場合もあります。これには、消費者の嗜好の変化やその他の事情が影響しているものと思います。この場合でも、何らかの革新・変革を付与した商品を投入し、それが市場に受け入れられた企業は大きな利益を享受できます。
 半耐久財や耐久財を製造する企業には、それらの需要が循環変動を示すことを知っている人はかなり多いはずです。その割には、自分たちの扱う個々の商品の需要動向を分析して、○○は6年サイクル、△△は8年サイクルなどと把握している企業や担当者は極めて少ないようです。これらの循環変動のボトム(谷)に、新商品を市場に投入しても報われることが少ないということを企業・担当者は知っておくべきです。
 東芝が今年の夏ごろHD DVDの新商品を発売すると表明しています。ブルーレイとの競争上、なるべく早くこの商品を発売したいとの意向のようです。しかしDVDの需要サイクルを考慮しているとは思えません。私は、この東芝の戦略は失敗すると思います。そんなに大きな需要は期待できないと思います。ゲーム機の新製品戦略を想起してみてください。新技術を搭載した商品を製造できるということと、それを新商品として販売することを分けて考えなければなりません。HD DVDを単独商品としてではなく、テレビやパソコン、あるいはゲーム機の付属品として発売する戦略をとるべきだと思います。(もっとも、東芝の戦略がブルーレイよりも先に単独商品として販売することを重視し、販売台数はどうでもよいというのであれば別の話ですが。)

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2006年1月 6日 (金)

靖国問題とポスト小泉

 小泉総理が、年頭の記者会見で、自らの靖国参拝を外国が非難することは理解できないと表明している。この問題で、5回も『理解できない』と繰り返しているという。
 私は、靖国問題は基本的には国内問題であって、それを外国がとやかく言うことは間違っていると思う。ただし、外国が嫌っている靖国参拝を総理が堂々と実行することが問題なのである。やっぱり総理としての立場から考え直すべきであろう。ついでにいうと、昨年の小泉総理の参拝時の「ポケットからチャリン」はいかがなものか。あれは、英霊たちに失礼だと思う。哀悼の意はチャリンからはうかがえない。
 中国についていうと、靖国問題は唯一の対日外交カードである(この点については、筆者の昨年10月20日のブログも参照してください)。小泉総理が靖国参拝をやめたら、中国には残された対日外交カードはない。経済や技術、さらには貿易面で日本から多くの恩恵を受けていることに対する一種の屈辱感みたいなものが誇り高い中国人にはある。さりとて、彼らの毛沢東思想やマルクス主義を持ち出すほどの時代錯誤感はもはや中国には存在しないであろう。靖国を持ち出すことで、対日交渉において中国は少しは優越感に浸れるのであろう。そういう面からいうと、靖国参拝は小泉総理の中国への思いやりかもしれない。
 今年9月に任期を終える小泉総理は8月に靖国を参拝するであろうか。これがポスト小泉とも結びついている。もし総理が参拝すれば、中国や韓国との間の軋轢が大きくなる。それはわが国の外交面の大きなマイナスとなり、事実上の外交機能は麻痺するであろう。経済界からも、総理や靖国参拝擁護派へ大きな非難があがるであろう。その結果として,靖国参拝擁護派の安倍氏や麻生氏の総理の目はなくなるであろう。その時は、多分、靖国参拝と距離をおく福田氏か谷垣氏が総理となろう。この面でも、総理はポスト小泉のキャスティング・ボートを握っている。
 今年も小泉総理の靖国参拝には目が離せない。ただし、それも9月までのことである。総裁任期満了後には、小泉総理も「ただのおじさん」となるから靖国参拝は問題とはならないであろう。国益を考えるならば、総理が靖国に参拝するのは10月以降にしてもらいたいと思う。そして、参拝時のチャリンはやめてほしいとも思う。

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