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2006年1月21日 (土)

不破哲三氏とマルクス主義

 不破哲三氏が、14日の共産党大会を最後に、党の議長を勇退した。私は非共産党員であるが、氏の幾つか著作を読んで感銘を受けた者である。そこで、不破氏の今後の活動に寄せる非共産党員としての期待などを述べてみたい。
 私はマルクス主義に大いなる興味を持ち、それらに関する多くの図書を読んできた。その結論として、戦後の日本のマルクス主義者にはまともな人は極めて少ないということが分かった(西欧のマルキストは別)。例えばわが国の代表的なマルクス主義者と呼ばれる伊藤誠氏である。氏と置塩信雄氏の著作『経済理論と現代資本主義、ノート交換による討議』岩波書店1987年は「おそまつ」の一言である。しかも、この書の中には、題名にある「討議」はほとんど存在しないのである。その責は、本書を読めば、伊藤氏が負うべきことは明白であろう。(もちろん、このような題名を許容する岩波書店の無責任さも非難しなければならないが。)
 日本の戦後マルクス主義者の例外の1人が不破氏だと思う。例えば氏の著作『エンゲルスと資本論、上下』1997年、『『資本論』全三部を読む、第1冊から第7冊』2003年~2004年、いずれも新日本出版社はすばらしいと思います。
 そこで、今後への期待を述べる。今後は共産党員という制約を離れて、不破氏のもつマルクス・エンゲルス・レーニンへの大いなる学識をもっと平明に、そして党員以外に接触できる形で語ってほしいと思います。さらに、中国の今後の進路(どう進んでいくのか、どう進まねばならないかなど)についての氏の見解なども表明してほしいと思います。とりわけ、後者について私は期待しています。
 私は、上記の『全三部』第1冊補論「レーニンと市場経済-中国社会科学院での学術講演-」を大変興味を持って読みました。不破氏は中国の将来像として「市場経済を通じての社会主義へ」という道を思い描いているようです。その方途として、経済の大事な部門を社会主義部門としてしっかり確保すべきだと述べている。これは、少し前のイギリスの国営企業部門やイタリアの同部門(ERIやENIなどと呼ばれていた)の存在を想起すると分かりやすいと思います。それに、現在の中国のアキレス腱のひとつである農業部門については「上からの命令や強制力の行使は絶対に禁止する」、「農民の・・・自発性の原則を厳しく守る」と述べている。ただ、農民の自発性と社会主義との関係があいまいだと思います。それに土地の所有権や農産物の貿易自由化などの課題の解決策を説明していない。巨額の外貨を持つ中国が農産物に保護関税を課すことは、おそらく不可能だと思います。農産物の貿易自由化は農民所得の低下に結びつきます。現在でさえ工業労働者などよりも低い農民所得の問題はどのように解決できるのでしょうか。
 不破氏の講演との関連で、中国経済についての私の考え方も若干述べておきます。中国や社会主義国の経済発展は基本的にはトップダウンで進められている。この方式は外延的成長(extensive growth、生産要素の投入量を増加することによる成長)と呼ばれる経済成長の初期段階には有効な成果を生み出すことが多いと思います。中国もそうでした。しかし、その結果として、現在の中国の製造業は資源浪費型となっている。浪費しているのはヒト・モノ・カネ・環境などである。次の段階である集約的成長(intensive growth、生産効率を向上させることによる成長)の時期には、ボトムアップでなければならない。中国もこの段階への歩みを始めなければならないと思います。製造現場にいるすべての人たちが自ら考えて行動することが大事な時期にさしかかっていると思います。最近の日本経済新聞(12月23日)に掲載されたテキ氏(字体の関係で、カタカナ表記)「粗放型成長続く中国企業、効率重視へ転換必要」は、私の主張に近い。このボトムアップを、指令型経済を特色とする社会主義の中にどう位置づけていくかが今後の課題である。不破氏は、市場経済にゆだねれば製造業は自動的にボトムアップ型になると想定しているのであろうか。
 市場経済であろうが、社会主義経済であろうが、国民一人一人が自分で考え、判断し、行動することが大事なことである。上からの指令や命令などによって国民が行動するようでは、そこには進歩がないであろう。ヘーゲルは「何が真、善、正であるかを自分で判断するいっさいの権利」を信者から取り上げたかつてのキリスト教を批判している。そして、その判断を信者個々人が取り戻す運動がルターの宗教改革であったと位置付け、それをルターの「偉業」であるといっている(城塚登『ヘーゲル』1997年講談社)。近代科学のほとんどの偉大な発明発見がプロテスタントによってなされたことを想起すると、このヘーゲルの言葉は正鵠を射ている。
 不破氏への苦言をひとつ。今後は、党や主義への忠誠を捨てて、自らの知識を誠実に伝えてください。具体例をあげておきます。マルクスの『資本論』第三部の解説にかかわる箇所です。(私は以下のマルクスの誤りは許容できると思います。それは、この第三部が下書き原稿程度のものであるということ、それにマルクスが会計・経理の知識に乏しかったということです(後者は上記『エンゲルスと』を参照)。)
 マルクスの利潤率は次のように与えられている。
   利潤率=m/C=m/(c+v)、ここにC=c+vである
mは剰余価値、Cは総資本、あるいは前貸し総資本、cは不変資本(第一部や第二部に従えば、原材料・エネルギーと資本減耗部分)、vは可変資本(労賃、あるいは労働費用)である。この利潤率の定義も問題であるが、ここではC=c+vの誤りのみ指摘しておく。この誤りはcとvの定義を考えると直ちに分かろう。
 前貸し総資本の定義は具体的な数値例でも示されている。それは固定資本(ここに資本減耗部分が含まれている)と流動資本(生産諸材料と労賃)の和となる。この数値例からも、上記の誤りはすぐに分かるであろう。数値例は上記『全三部』第5冊243頁に示されている。
 また商品の価値Wの定義からも明らかである。それは下記のようになる。右辺の第2式は上記の誤りを代入している。ここから、商品の価値は総資本と剰余価値の合計となる。
    W=c+v+m=C+m
 これらの誤りを不破氏は気づいているはずです。それは『全三部』第6冊28頁から30頁を読めば明らかです。不破氏はマルクスが「生産物の価値を計算する時、・・・不変資本部分cについて、そのどれだけの部分が消費されたかという問題を考慮に入れず、不変資本のすべてが生産物価値に入り込む」と説明している。なぜ、不破氏は最初の利潤率の定義やその他のところでマルクスの誤りを指摘しなかったのであろうか。
 
 追記
 この『全三部』は「代々木『資本論』ゼミナール・講義集」というサブタイトルがつけられているように、共産党員300人以上を対象とした1年間の学習会での不破氏の講義をまとめたものである。学習会に参加した党員の皆さんの中には、上記のようなマルクスの単純な誤りに気づいた人は1人もいなかったのであろうか。もしそうならば、党員の知識水準はあまりにも低いであろう。彼ら、彼女らは誇り高い前衛ではなく、後衛でもなくてタマヒロイ程度であろう。党員の皆さんは自分で考えること、そして例え上層部の言葉あっても誤りがあれば指摘することを放棄したのであろうか。上層部も含めた共産党員の皆さん、それに不破哲三さん、上記のヘーゲルの言葉や記述をかみしめてください。党員一人一人が自分で考えること、自分で判断することの重要性に気づいてください。あなた方も、これから困難な時期を迎える日本の大切な国民なのです。

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