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2007年3月24日 (土)

東京都知事選挙

 東京都知事選挙の候補者が出揃った。相変わらずにぎやかな顔ぶれである。それで、この選挙について述べてみたい。以下の私の選挙予想などはアテにならないものです。
 どうみても、現職の石原氏が圧勝するであろう。2位につけるとみられている浅野氏の場合は「負け方」あるいは「惜敗率」が問題になる。というのは、浅野氏の場合は4年後の都知事選挙をにらんでいる節がある。今回、大差で負けるようなことがあれば、浅野氏に次はないであろう。
 私は、今回の選挙で現職の石原氏に挑戦できる候補は女性であろうとみていた。一時候補に挙がっていた民主党の小宮山氏は「案外だろう」と思っていた。ただし、小宮山氏は最近メディアへの露出が少ないという欠陥があったので、出馬しても善戦で終わるであろうと予想していた。私は次回の都知事選に小宮山氏が出馬することを望む。そこで当選するためには、これからの4年間をどう過すかが大切となる。本人が出馬する意欲があるならば、当然にそのようなことは考えているであろう。(石原氏以外の候補者は、これまでの4年間、あるいはそれ以上の期間を、今回の選挙のために活用していなかったであろう。突然出馬しても現職に勝てるとは考えられない。)
 当選するであろう石原氏に望むことを記しておきたい。まず、五輪はやめるべきである。少なくとも東京で開催すべきではない。福岡や他のアジアの都市で開催した方がよい。
 イベントを開催するならば、もっと知恵を出せばいくらでも有益なものが考えられる。例えば日本の科学・技術の振興を企図するのであれば「ロボット世界博」や「ロボット世界競技大会」など。芸術・文化振興のためならば「世界芸術・文化博」や「世界伝統芸能大会」など。もちろん、これらは4年毎、あるいは5年毎に開催する。
 おそらく最後の任期になるのであるから、これまでの知事にやれなかったことに挑戦してほしい。東京都年金制度や東京都医療保険制度などのような東京都独自の制度の創設なども検討してほしい。
 そして沖ノ鳥島開発・保存は、これまで以上に力を注いでほしい。ここの海域を用いて何らかの実験などをする予定があるようであるが、私は賛成である。この島があるから、わが国の200カイリは大幅に拡大しているのである。ただし、この島の有益性を都民に還元することも考えてほしい。
 最後に、鈴木元都知事のことを記しておきたい。鈴木氏は、通常の状態であったならば、都知事になれなかったであろう。本人は都知事になることを望んでも、選挙というカベがあった。そのことを本人が一番よく自覚していたと思う。当選後は、彼は常に次の選挙のことを考えながら職務を遂行していたようである。私が見聞した3年間か5年間の事業で、年間予算が300万円から600万円程度のような事業でも、彼のその事業始めの会合には業界関係者を多数呼び、それに出席していた。それに出席した業界のトップの人たちが『知事さんも出席した』と感激の面持ちで私に語っていた。私は、『鈴木氏はこのような小さな予算でも業界人とコンタクトを持つのか』と感心したことを覚えている。
 3選目の鈴木氏に自民党が反対し対立候補を立てた時に、多くの業界関係者が鈴木氏の下に駆けつけ、『ぜひとも立候補してください。私たちは力の限り応援します。』との趣旨の要請・激励文を渡していた。このニュースを目にした時、私は前述のことが脳裏によみがえった。結果は、鈴木氏の3選であった。

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2007年3月16日 (金)

株式情報、あるいは四季報というオイシイ商売

 東洋経済の『会社四季報』が発売された。情報誌として考えてみれば、四季報として、毎年4回販売できるオイシイ商売である。しかも新しく付け加える情報は、前回発売のそれに、ほんのわずかですむ。この点に気づいたのか、日経新聞やダイヤモンドなども類似の情報誌を発売している。これらの株式情報誌について幾つか述べてみたい。
 まず東洋経済の『四季報』である。これは、他のそれらと同じように、新しい情報の掲載は比較的少ないようである。(東洋経済は新聞記事や証券会社情報のスクラップを一般人が比較的簡単に利用できる現状を知らないのであろうか。) また新興市場(ジャスダックやマザーズなど)の企業情報については「不足」と断言できるほどである。これらのことは自分の所持している銘柄情報からいえる。ここに掲載されているほとんどの情報は既に知っていた。
 また前号との業績比較で、「前号並み」や「大幅減額」などの掲載は読者に誤解を与えないであろうか。用いる前号と今号の業績を、東洋経済が両方とも独自に調べた場合、両方とも会社発表の場合、それらの混合の場合がある。例えば両方とも会社発表の数字を用いれば「大幅増額」となるケースがある。ところが両方とも東洋経済調査の数字を使い、その前号の業績を過大に予想し、今号の予想が会社発表程度の時に「大幅減額」となる。この場合、東洋経済は「前号の予想」は過大でしたというべきではないであろうか。つまり業績の低下は東洋経済の誤りからもたらされているのである。(特に「大幅減額」と記載されている場合、会社に何か問題があったと思うのが普通の読者である。) 四半期決算が利用できるのであるから、この評価は、両方とも会社発表の数値を用いた方がよいであろう。
 日経新聞とダイヤモンドの類似の情報誌は『四季報』の2番煎じ、3番煎じにすぎない。特に日経新聞のものは、日経新聞と日経テレコンをみている者にとってはほとんど新しい情報がないようである。
 東洋経済の『四季報』も含めたこれらの情報誌に要望したいことは、次のようなものである。①記者が足で稼いだ情報の充実(企業の広報からの情報はインターネットなどから入手できる)。②四半期情報の充実。③先行きの企業業績の予想。④新興市場企業の情報の充実。
 特に④を要望したい。個人投資家は新興市場株に重点をおいて投資しているといわれている。そうであれば、なおさらこれらの市場の企業情報の要望は強いはずである。また新興市場に上場している企業は広報活動が不足しがちであるから、これらの企業情報は新聞・雑誌などに掲載される機会が少ない。
 再度お願いします。記者が足で稼いだ情報、それも新興市場企業の情報を充実してください。

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2007年3月11日 (日)

パチンコ・パチスロホールと改正遊技法

 パチンコ・パチスロホールの現状は改正遊技法施行の影響で不振である。以前の当ブログ(2月10日)でこの点に若干触れたが、この点を改めて述べてみたい。
 ギャンブル性を低めた改正遊技法の影響により、1年前の客数を100とすると、現在はパチンコホールで90前後、パチスロホールで70前後のようである(私の観察による)。特にパチスロでは客足が落ちている。今後も、この状況は続くであろうか。
 パチスロホールは現在よりももっと客足は遠のくものと思われる。その理由は、改正遊技法以前の適合機(4号機)から説明できる。まだホールには4号機(しかし、これらは「北斗の拳」や「吉宗」のような爆発性はない)がかなり存在している。この4号機のほとんどが6月末ごろまでに検定切れになり、ホールから撤去される。それゆえに、夏頃からホールではすべてが改正遊技法適合機(5号機)となる。この5号機は、ギャンブル性が低められているから、多くの客を呼び込むとは考えられない。おそらく、年末頃にはパチスロの設置台数もかなり減少しているはずである。
 パチンコホールの客足はどのようになるであろうか。改正遊技法では、パチンコの仕様にかなりの自由度が増えたという指摘がある。例えば羽根もの(俗にいう飛行機もの)とデジタルの融合が可能になったという。だから、改正遊技法はパチンコにはプラス面もあるという。現在のホールには、この自由度を生かした新型機はまだ見られないようである。
 ここ数年の私の観察によると、機器メーカーでは京楽(きょうらく)のみがファンを呼び込むパチンコを開発しているようである(「冬のソナタ」、「華王(美空ひばり)」、「ウルトラマン」など)。他のメーカーは、これまでの延長のような機器ですましているようである。改正遊技法は京楽も含めたメーカーにノベリティに富む新型機の開発を促す契機となるであろう。
 この新型機の登場や団塊退職者の存在、それにパチスロからの移行客などを考慮すると、夏頃以降のパチンコホールは以前の賑わいを取り戻すと予想する。またパチンコ設置台数も、パチスロからの置換もあるので、増加していよう。
 最後にギャンブル性について。公営のギャンブル、例えば競馬や競輪などでは3連単にみられるように、ギャンブル性が著しく高められた。宝くじも同様である。これらに対して、民営ギャンブルのパチンコ・パチスロではギャンブル性を低下させている。公営と民営の間の衡平性に問題があるといわざるを得ない。パチンコ・パチスロで破産する人もいれば、競馬や競輪で破産する人もいるのである。

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2007年3月 3日 (土)

裁判員制度に反対

 最高裁判所・政府の進める裁判員制度(2年後の平成21年5月までに始まる)に反対する。これは「国民から選ばれた裁判員が刑事事件に参加し、裁判官とともに被告人が有罪か否か、どのような刑にするかを判断する制度」である。何で、国民に多大の負担がかかるこのような制度を導入するのか私にはよく分からない。裁判の場では、もっと先に解決しなければならない課題があるのではないであろうか。
 考えられる理由はアメリカの陪審員制度に倣うということである。(陪審員の場合は「被告人が有罪か否か」の判断までで、どのような刑にするかまでは判断しない。) 陪審員制度は「多民族国家」や「多宗教信者からなる国家」には有用な制度だと思われる。
 陪審員制度が導入されたアメリカ建国の頃の状況を考えてみたい。以下には、私の推察も含まれています。
 その頃のアメリカでは、様々なセクト(キリスト教の様々な宗派)毎にコミュニティが形成されていた。各コミュニティは基本的にはそのセクトの掟などによって治められていた。そしてヨーロッパ大陸での宗教戦争・宗教裁判などへの反省から、他のコミュニティには干渉しないという習慣が形成されていった。やがて幾つかのコミュニティがまとめられて1つのカウンティ(日本の郡に近い)となり、そのカウンティに1つの巡回裁判所が設置されるようになった。ここで思考実験をする。例えば5つのコミュニティからなるカウンティを想定する。この時、すべてのコミュニティのセクトが異なっているものとする。判事・裁判官はどこかのコミュニティに所属するものとする。分かりやすく、次のようなケースを考える。イスラム教の信者のみからなるコミュニティである事件が起きたとする(もっと限定すると、その事件の利害関係者はイスラム教徒のみからなる)。判事・裁判官はキリスト教徒とする。この例では、被告人が有罪か否かの判断はイスラム教徒に委ねる、つまり、そのコミュニティから選ばれた陪審員に委ねることこそが最良の選択であろう。ここでは、イスラム教徒とキリスト教徒の間では価値観や倫理観、あるいは習慣などが異なっているということが暗黙裡に想定されているのである。そこで有罪と決められたら、それがどの刑に該当するかは法技術的な問題であるから、基本的には宗教・宗派・習慣などに関係がなくなる。このため、キリスト教の判事・裁判官が決定してもなんら差し支えがないであろう。
 現在のアメリカでも特定の人種や宗教・宗派などからなるコミュニティが多々ある。もし、そこで発生した事件で、かつ利害関係者のすべてがそのコミュニティ居住者に限定される場合は「そのコミュニティから選ばれた」陪審員が裁判に参加し、有罪か否かを判定する制度は望ましいものといえよう。
 わが国の現状はほとんどが同質的な国民によって構成されている。それゆえに、現状では上記のような陪審員制度は不要であるし、ましてや裁判員制度などは論外である。ブラジルからの日系2世や3世の多数から構成される市町村が現れるならば別であるが。
 わが国で必要な制度は、民事と刑事ともに、裁判における参考人制度である(既に制度として存在するのであれば、それを積極的に活用することである)。半導体の特許をめぐる裁判で、企業に200億円の支払いを命じたバカな裁判官がいる。最高裁判所に求められているのはこのようなバカな判決への反省なのである。情報・知識が格段に進化・発達している現状では、裁判官にオールマイティを期待できない。だから、公開の法廷に参考人に参加してもらい、様々の意見を述べてもらうのである。もちろん、参考人は裁判の内容に詳しい人である。しかし参考人であるから、彼・彼女は有罪か無罪かについては意見を表明しない。その意見を参考にして、裁判官が判決を下すのである。
 マルクス『資本論』の脚注に「陪審員(ただし翻訳)」という言葉がでてくる。この陪審員は、急速に発達した当時の大規模工場内の現場に精通していない裁判官などの知識不足を補うために法廷で証言した参考人のようである。(マルクスは、この陪審員が工場主であったことから、彼の証言を批判している。)
 不思議なことに、わが国の裁判官は『私には判断できません』や『私にはその方面の知識がありません』などという正直な人はいないようである。皆がオールマイティのような仮面をかぶっているようである。これこそが問題なのである。最高裁判所の判事さん、分かりますか。あなただってオールマイティではないでしょう。
 裁判員制度の導入によって、最高裁判所などの司法機関にも様々な利権が発生しているようである。「法の番人」が利権に目覚めたのである。この面からも、裁判員制度に反対である。

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