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2007年10月28日 (日)

今こそ憲法論議を

 テロ特措法をめぐる民主党小沢代表の見解などに端を発して憲法条文の解釈が脚光を浴びてきた。私は2年ほど前にも当ブログで「憲法改正と憲法の不完備性」を述べたが、それとも重複するが憲法について言及してみたい。憲法は大事なものであるから、今後も重複をいとわず何度でも述べるつもりである。もっとも大事だと思える点を3つ述べる。
 憲法はまず第一に現在生存している国民のためのものであるということを強調したい。ところが、国民の大半がこの憲法の制定に関与していないし、各条文に対して諾否の判定もしていない。私は、憲法は10年か20年に一度は国民に条文毎に「それでいいかどうか」の判定を仰ぐべきだと思う。この判定には記述方法も含む(その理由は、言葉というものが日々変化しているからである)。そして「追加すべき条文があるかどうか」も国民に問うべきであると思う。
 どこかの党が護憲などといっているが、宗教の教義と憲法を取り違えているのであろう。憲法は時代とともに、そして国民とともに変化、あるいは進化していかなければならないのである。
 第二は、憲法はそれ自体で完備していることが望ましいと思う。例えば第10条「日本国民たる用件は、法律でこれを定める」などの条文は書き換えるべきだと思う。普通の国民は、これをみてどの法律をみたらよいか分からないであろう。だから「日本国民たる用件は、国籍法でこれを定める」、あるいは「日本国民たる用件は、○○○である」と具体的に記述しなければならない。後者の方が望ましい。
 現状のような条文のばからしさの例として、例えば次のような仮想条文「天皇は、別途法律でこれを定める」を考えてみればよい。この不完備性については、前回のブログも参照。
 なお、このような悪しき条文であれば大掛かりな憲法改正の手続きが不要となる。例えば第9条「日本国民は、・・・武力による威嚇又は武力の行使は、別途にこれを定める」としておけば様々な論争を避けられる。極端ではあるが、「別途」を「防衛大臣がこれを定める」と解釈すれば、その場その場で海外派兵をしたりしないことができる。
 第三は、グローバルな時代なのだから日本国憲法も国際標準(グローバルスタンダード)に合わせていかなければならないと思う。日本だけの一国内平和主義はもはや成り立たない現実を直視すべきである。例えば9.11のテロやその他の国際的犯罪について、日本国民がどう立ち向かわなければならないか真剣に議論すべきである。海外での武力行使、あるいは海外での警察力行使をわが国だけが避けることはできないと思う。どこの国でも、その国民の血を国外で流したくないであろう。この点について、自衛権の行使などのつまらない条文解釈などはやめて、憲法を見直せばよい。
 これと関連するが、わが国は積極的に国際的な憲法・憲章の制定に関与すべきである。現在の国連憲章ではダメである。そして、この国際的な憲法・憲章と調和するような国内憲法が望ましいであろう。小沢氏や外務省などのいう国連中心主義はおかしいと思う。これについては近いうちに言及するつもりです。

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