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2008年5月27日 (火)

名作・古典の新訳化の流れを評価する

 過去の名作・古典を新しい訳で出版する流れが出てきている。例えば光文社古典新訳文庫ではドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、シェイクスピア『リア王』、レーニン『帝国主義論』などが刊行されている。その文庫の最終ペイジには「いま、息をしている言葉で、もう一度古典を」ということを意図して古典新訳文庫を創刊したと述べられている。私は、この創刊の意図を高く評価する(ただし「もう一度」でない場合もある)。
 私はかなり以前から外国文学の翻訳書が格段に読みやすくなっていると感じていた。多分、この感じを得たのはスタイロン著・大浦訳『ソフィーの選択』1983年発行を読んだ時だったと思う。そしてシユリンク著・松永訳『朗読者』2000年発行を読んだ時には、この感じは確信に近いものとなっていた。
 この経験を、世界文学全集を読むのに大変苦労した高校生の頃の経験(1960年前後)と比較してみた。そして得た私なりの結論は「昔の翻訳が読みにくかった」ということである。その理由は簡単に分かる。1つは、これが大事なことであるが、現在の翻訳者が対象言語に様々な面で精通しているということである。極端な例でいえば、昔の翻訳者は対象言語のロシアや英国に住んでいたことも滞在したこともなかった。現在の多くの翻訳者は対象言語のそれらの国での居住経験も長かったり、いわゆる「バイリンガル」に近い能力を持っていたりする人が多いものと思われる。もうひとつは読み手の側にもある。グローバル時代であるから、諸外国の情報に日常的に接する機会が多くなり、それだけ読み手も諸外国の知識を持っている。
 私は前記の『カラマーゾフ』を読んでみた。はるか昔のおぼろげな記憶に比べると、やはり格段に読みやすかった。これには、上記の2つの理由が寄与しているものと思われる。多分、翻訳の水準も新しいものの方が格段に向上しているのであろう。
 私は光文社古典新訳文庫が事業として成功し、数多くの名作・古典が新訳化されて光文社やその他の出版社から発行されることを望む。微力ながら、このうちの何冊かを購買して、この試みを応援するつもりである。

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2008年5月18日 (日)

翻訳というおかしな言葉

 翻訳という言葉はおかしなものである。辞書によると、「翻」の意味は「ひるがえる」、「ひるがえす」、「ある国の言葉を他の国の言葉になおす」などとある。同様に、「訳」の意味は「わけをとく」、「外国の文や古文などを普通の言葉に直す」などとある。
 具体的な例でいうと、「日本語文を英語文に変換」する場合も、その逆に「英語文を日本語文に変換」する場合もともに「翻訳」という。前者の例でいうと、日本人からみると自国の言葉が他国の言葉に変換されている(輸出に相当する)が、英国人からみると他国の言葉が自国の言葉に変換されている(輸入に相当する)。後者は、この逆である。だから「翻訳」は「輸出入」に相当する言葉であるといってもよい。あるいは「売買」に相当する言葉といってもよい。
 その持つ意味からいうと、「翻」は上記の両方の変換を表してもよい。他方、「訳」は両方の変換に適用できるかどうか疑問である。しかし現実には、「訳」という言葉は上記の両方の変換の意味でも用いられているのである。具体的な例をあげる。「英訳」は「どこかの言語を英語に変換すること」であるから、日本語から英語への変換も含む。「邦訳」や「和訳」は「どこかの言語を日本語に変換すること」であるから、英語から日本語への変換も含む。それゆえに、「翻」も「訳」も同じ意味を持つといえる。だから「翻訳」は二重定義となっている。
 そこで私の提案である。「翻」と「訳」に別の意味を持たすのである。日本人が国内で生活しているということを重視すると、国語(日本語)を中心にしてみる言葉・熟語を作ることが望ましいので、「翻日(ほんにち)」と「日訳(にちやく)」という新しい言葉・熟語を作るのである。「翻日」とは「外国語を国語(日本語)に変換すること、外翻日の略」をさす。そして、外国語を特定する時には次のように使う。
  ◎英語を国語(日本語)に変換する・・英翻 (えいほん)、あるいは英翻日(えいほんにち)
  ◎独語を国語(日本語)に変換する・・独翻 (どくほん)、あるいは独翻日(どくほんにち)
ここから「翻」の意味が定められる。
 もう一方の「日訳」とは「国語(日本語)を外国語に変換すること、日訳外の略」をさす。外国語を特定する場合は次のように使う。
  ◎国語(日本語)を英語に変換する・・訳英 (やくえい)、あるいは日訳英 (にちやくえい)
  ◎国語(日本語)を独語に変換する・・訳独 (やくどく)、あるいは日訳独 (にちやくどく)
ここから「訳」の意味が定められる。そして、現在使われている「英訳」、「邦訳」、「和訳」という言葉は用いないことにする。
 上記の「翻日」と「日訳」の両者をさす場合にのみ「翻訳」という言葉を用いる。これは「売り」と「買い」の両者をさす「売買」に対応するものである。
 なおグローバル時代であるから、多数の外国人が日本国内に住む。この人たちが自国語への変換に使う場合は「翻」と「訳」は同じように使われる。例えば「英語を中国語に変換する」場合は「英翻中」や「英訳中」であり、逆に「中国語を英語に変換する」場合は「中翻英」や「中訳英」である。
 同じ意味を持つ「英翻中」と「英訳中」という2つの言葉が生まれるというような欠点は国語(日本語)を中心に言語・熟語を作る時にはしばしば生ずることであろう。前記の例で国語を介在させた場合は次のようになる。「英語を日本語に変換し、その日本語を中国語に変換する」場合は「英翻日・日訳中」となり、中間に介在する日本語を省略すると「英翻訳中」や「英翻中」や「英訳中」となる。上記の欠点を回避したければ「英翻訳中」のみを用いることにすればよい。

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