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2010年8月10日 (火)

サンデル先生、答えてください・・・ハーバード白熱教室を読む

 マイケル・サンデル著、鬼沢訳『これから正義の話をしよう』早川書房2010年を読んだ。読み始めてすぐに、どうしてハーバード大学の講義の教室が白熱するのかが分かった。「パーキンソンの法則」のような「○○の法則」で「議論が白熱する程度はその内容の質に反比例する」というものがある。この法則を知っていれば、『なるほどね』となる。つまり、議論が活発化する、あるいは白熱化するのは、そこで話されている議題が身近なものや難しくないものであるからである。ただし、そうだからといって、サンデル先生の講義を低く評価するのは間違いである。正義や公正というものを、身近な題材を例として考える意義はある。ロールズの『正議論』やノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』、あるいはアリストテレスやカントの著作などを知っている者には、サンデルの書・講義は「完全に虚を突かれた」思いになるであろう。私は、正義や公正をサンデル先生のあげられる例示を基に考えることの必要性を感じた。
 この内容の紹介や評価は政治学や政治哲学の専門家に任せて、サンデル先生が答えていない2つのジレンマについて、私が答えよう。以下で取り上げるジレンマは、若干変更しているところもある。
◎ 暴走する電車の運転手
 ブレーキがきかなくなり時速100キロメートルで暴走する電車の運転手の例である。運転手には次のことが分かっているものとする。そのまま直進すると、5人の作業員をはね、全員が即死になる。そこには右側にそれる待避線があり、そちらにハンドルを切れば1人の作業員をはね、即死する。正義や公正の観点から見ると、運転手は直進するか、右側にハンドルを切るかのどちらを選択すべきであろうか。
◎ 時限爆弾を仕掛けたテロリスト
 5時間後に爆発する時限爆弾を人々の密集しているターミナル駅に仕掛けたテロリストを捕まえた当局の例である。この爆弾を小型原爆(こんなものはないと思う)とし、それが爆発すれば1万人以上の人が即死し、その爆発地点から半径5キロメートル以内の地域が以後の5年間が立ち入り禁止となる。このテロリストが5歳程度の1人娘を連れていたとする。テロリストは死を覚悟しているから、拷問をしても小型原爆の仕掛けた場所を白状しないものとする。しかし、この少女を拷問にかければテロリストはその場所を白状するものとする。当然ながら、白状すれば小型原爆の被害は差し止められる。何も知らないこの少女を拷問にかけることは正義、あるいは公正にかなう行為なのかどうか。

 以上の2つの例示、あるいはそれ以外の例示についてもサンデル先生は自分の考える正義・公正の観点から答えていない。上記に対する私の答えは次の通りである。
 まず「運転手」の場合である。私には、どちらの選択が正義・公正なのか分からない。しかし、私が運転手ならばそのまま直進し5人を即死させる道を選ぶであろう。この場合、私は何もしないことになる。これに反して、右にハンドルを切るという行為は自分の意志が働いていることになる。だから、1人を即死させることは自分の行為の結果となる。もし1人を即死させれば無期懲役となり、2人以上を即死させれば死刑となる制度があり、それを私が知っていたとしても、私は死刑を受容するであろう。
 次に「テロリスト」の場合である。私は自分の信念(正義や公正と言い換えてもいい)からテロリストの娘を拷問にかけない方を選択する。その結果としての小型原爆の被害を受容するであろう。もちろん被害を最小とするために、必要な手はすべて打つ。私が当局の責任者だとして、その方針に非難が集中して責任を問われても、それらを感受するであろう。
 面白いことに、上の2つの例示はサンデル書では示されていない「最小不幸社会」を理念とする政治哲学では簡単に解決できる。不幸を最小にするのであるから、「運転手」の例では1人の即死を選択し、「テロリスト」の例では少女を拷問にかけることになる。(サンデルの書では、最大幸福を論じており、この幸福の加算性に問題ありと指摘している。当然ながら、不幸の加算性にも問題がある。)
 最小不幸社会について補記しておく。菅総理大臣が、その就任に当たって「最小不幸社会」をめざすと述べている。何年か前に、民主党がマニフェスト選挙を始めた時にも、このマニフェストに最小不幸社会が掲載されていた。当時の民主党の代表は菅氏だったと思う。私の推察では、菅総理はこの最小不幸社会というものの出所を知らないようである。そこで、サンデル書でも欠落しているので、以下にそれを簡単に述べておく。
 私の知る限り、この言葉、あるいは最大多数の最大幸福の追求よりも多数の人の不幸を減じようという考え方はカール・ポパー著、内田・小河原訳『開かれた社会とその敵』1980年未来社(原著は1950年、翻訳は他にもある)の第9章の本文と脚注に記載されている。私の記憶している理解では、次のようになる。豊かな社会では、人々の幸福は多元化しているので、人々の幸福に対する意見は集約しない。これに反して、何が不幸かということに対しては人々の意見は一致しやすい(これは調査してみる価値がある)。民主制の下での政治は、人々の集約された要求の実現をめざすものとすれば「不幸の最小化」となる。
 ホパーの言葉を引用すれば、「人を幸福にするような制度的手段は存在しないのだから、その要求はおそらく幸福にして欲しいという要求であるよりも、不幸が避けられる場合には不幸にしないで欲しいという要求であろう。・・・それゆえピースミール工学者は、社会の最大の究極的善を探してその獲得のために闘うよりも、社会の最大で最も緊急な悪を探してそれと戦うという方法を採用するであろう。」となる。ここでのピースミール工学者は理想的な政治家とみなしてもよい。なおホパーは、「快楽や幸福」と「苦痛や不幸」は同じ次元ではないと考えている。つまり、後者は前者のマイナスでは把握できないと考えている。

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