戦後の復興、杜甫と昭和天皇
72回目を迎えた「終戦の日」に、戦後世代の一人として戦後の復興を考えてみたい。
私は中学生のころ、漢詩や論語を学ぶのが好きであった。そんな時に、我が国の戦前の人たちも漢詩や論語を大切にしていたようであると感じた。それが疑問であった。日本は日清戦争に勝利したあたりから、中国人を蔑視するようになっていたはずである。それが1937年の日中戦争に結びついていく。多くの国民が中国人を蔑視していながら、他方で漢詩や論語を愛唱していた。これが不思議であった。私は、当時の日本人はその時代と唐時代の中国人を別人と判別していたのかなと思っていた。
このように精神分裂状態みたいになっていた日本人が多数存在していたことが敗戦後のわが国の復興に大きな幸いをもたらした。このことを高橋睦郎『漢詩百首』2007年中公新書から学んだ。以下の数行は著者の受け売りであり、文責は席亭にある。(こんなに大切なことを著者が教えてくれているのになんで多くの人はこの点に無知なのだろうか。この思いからのブログである。)
敗戦後に戦地から内地に帰還した兵士は、原爆や焼夷弾で破壊された祖国を悲しい思いで見たはずである。その一方で、無傷の山野も見たはずである。その時多くの人たちの脳裏に杜甫の「春望」が浮かんだはずである。つまり「国破れて山河あり」の一節である。この言葉によって、「俺たちにはまだ山河がある。もう一度立ち上がろう」と勇気や希望を帰還兵にもたらしたはずである。こう考えると、戦後のわが国の復興に果たした杜甫の役割は大きい。そして、戦前の人たちが漢詩を捨てなかったことが報われたのである。その恩恵は戦後の私たちも受けている。
もう一つ戦後の復興に大きな役割を果たしたもので、多くの人たちが気付いていないことがある。それは昭和天皇の工場見学である。戦後、昭和天皇は全国に巡幸された折などに工場見学もされている。天皇の工場見学の内示は、2,3年前に企業に伝えられたようである。当時は外貨が不足していたので輸出が奨励され、顕著な輸出実績を上げた企業は通産大臣表彰などで顕彰した。これらの企業が対象になったようである。内示があると、当該企業の社長は設備投資などをしてから天皇を迎える場合が多かった。設備投資の結果、工場は規模や設備が日本一や東洋一となり、それを天皇に見てもらっていた。技術革新は設備に体化されている場合が多いから、天皇の工場見学は結果として技術革新を導いたことになる。それが戦後の復興に…となる。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント